ゆるゆる べんきょう

暇だから哲学・数学・物理学をゆるく勉強しているよ

書評:ソフィーの世界

ゴルデル:ソフィーの世界

https://www.amazon.co.jp/dp/4140802235/

 

〇:一人一人の哲学者に多くの文字を割いている

〇:小説風味になっており、初読では頭をガツンとなぐられた気分

×:長い 長すぎる

×:現代の哲学者に関してはあまり触れられていない

×:著者の倫理が至る所に巻き散らかされている

 

 

バークリーが怖かった。ソフィーがかわいそう。

 

書評:大論争!哲学バトル

大論争!哲学バトル

https://www.amazon.co.jp/dp/4046013109

 

を読みました。大衆向けの哲学関連の書籍です。

哲学者同士に「対話」させることで現代の各種問題(格差は容認されるか?生きる意味はなにか?)にたいして議論する。

 

哲学者をイラストで描いてくれるので非常に印象に残る。

 

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軽快な形なのでさらっと読める。

 

まあ楽しかったかな

倫理・価値判断・行動規範

「・・である」という事実を表す命題の集まりから、「・・・すべき」であったり「・・・は正しい」だったり「・・・するのが望ましい」というような命題を推論することはできない。これらの命題には価値判断という主観的な要因が混じるからだ。しかし私(たち)はこれらの命題に対して真偽を問いたいのだ。

 

  • 私は(生きるにあたって)何をするべきか?何のために生きるのか?

 

一般的にこれらは倫理という言葉で語られ、哲学ではたびたび論じられてきた。「・・・するべき」という術語と「・・・は正しい」という術語は同値なのだろうか?すなわち「するべきことは正しいこと」なのか?「正しいことをするべき」なのだろうか?

野家 科学哲学 第三部

第三部は科学社会学 13章から15章

 

マートンはCUDOS(公有性・普遍性・無私性・組織的懐疑主義)と呼ばれる規範を提示した。そして、科学の健全な発展には民主主義社会の成立が不可欠の条件となると考えた。しかしこれは理想主義的だとされてしまっている。これを推し進めたエディンバラ学派は、自然科学や形式科学の概念や理論内容も社会的・時代的条件によって制約されていると主張し、ストロングプログラムを導き出した。

 

これらの認識論的相対主義の考え方に対して、現場の科学者からは極めて強い反発がおこった。そのうちの一つが、ソーカル事件ということができる。これにより科学社会学者の側にも科学者の側にも反省を残す結果となった。

 

CUDOSに基づく規範は、20世紀後半になると大きく揺らいでくる。科学技術は産業界の要求・政治的問題・軍事技術と強く結びついてきたからである。特に「マンハッタン計画」の成功を戦後にも持ち込み、国家主導による科学の研究開発プロジェクトを戦後の平和利用を目的とした科学技術政策に転用するようになった。すなわち、科学の制度化から、「科学の体制化」が進んでいるのである。

 

科学研究は政府や企業など発注者との契約に基づく委託研究となり、科学者共同体も管理者と現場を担う労働者へと階層分化を遂げた。このような特質では、科学者の行動様式は、PLACE(所有的・局所的・県主義的・請負的・専門的仕事)などと揶揄されている。

 

カーソンによる沈黙の春を代表とする科学の社会的責任も求められている。通常、科学技術は「価値中立的」とされているが、現代ではそのような単純な考え方は成立せず社会的リスクと表裏一体のものとなっている。ワインバーグは「トランスサイエンス」という言葉で、科学に問いかけることができるが科学のみによって答えることができない諸問題の存在を強調した。

 

21世紀のリスク社会を生きる我々に求められているのは、科学技術を放棄して原始時代に戻ることではなく、むしろ科学技術の市民感覚によるシビリアンコントロールであり、科学技術と人間とが共生するための基本的なルール作りである。

 

野家 科学哲学 第二部

第二部は科学哲学 第7章から12章

 

科学的な方法としての演繹・帰納アリストテレスにより整備された。特に演繹は論理学として知られている。帰納法は経験に基づく手法であるため、帰納法に正当化を与えることに多くの人が苦心している。これを踏まえた仮説演繹法に関しても同様の課題があった。一方、自然科学が経験科学である以上、仮説が反証される可能性は常に残っている。また、これらの道具立て(帰納法演繹法・仮説演繹法)はヒューリスティックを提示するわけでない。アダプション(by パース)などの別の発想力が新しい発見につながることを注意する必要がある。

 

ニュートンによる自然の定式化は「決定論的自然観」という古典物理学的世界像とでも呼ぶべきものが確立された。これに対して、第五公準による非ユークリッド幾何学の成立、ラッセルのパラドックスによる数学基礎での矛盾の発見、アインシュタインによる絶対運動・絶対時間の否定、量子力学による確率の介在する世界描像。これらの数学・物理学の危機により、決定論的自然観は突き崩されていく。

 

上記の危機に対して、科学哲学という分野が生まれた。これは、ウィーン学団による「論理実証主義」である。彼らは有意味な命題は経験的手続きによって検証可能でなければならないというテーゼにより科学的命題と形而上学的命題とを厳密に区別することを求めた。

 

論理実証主義を批判・克服しようとしたのがポパーによる反証主義である。ポパー帰納法の否定・検証に代わる反証の概念の提示をドグマとして、科学の本質は、推測によって仮説を提起し、その仮説を反駁しようとする繰り返しにあるとした。この「試行と誤謬排除」のプロセスこそが科学的方法の特徴であるとした。ポパーは科学理論の発展をダーヴィニズムに結び付けようとしたことでも知られる。

 

論理実証主義への別の反応はクワインによる「ホーリズム自然主義」である。彼は、論理実証主義のドグマである、分析的真理と総合的真理という二分法を否定し、論理学や数学などの形式科学と総合的真理に対応する物理学や社会学などの経験科学との区別はなく、全体がネットワークをなしていると考えた。それゆえ科学において実験的な検証や反証の手続きにさらされるのは個々の仮説ではなく、補助仮説や背景的知識を含めた理論全体であるとした。

 

論理実証主義に最終的に引導を渡したのはクーンによる「パラダイム論」である。我々が何かを観察する際特定の理論の色眼鏡をかけておこなっているという「観察の理論負荷性」といい、生の事実の存在を否定した。理論が別の理論によって打倒されるのを「パラダイム転換」としてとらえた。パラダイムの転換は検証や反証などの合理的な論証手続きに元図くのではなく、社会的要因や歴史的条件、心理的要素もかかわる複雑な様相を呈していると訴えた。これは科学者から大幅な反発を受けたが、パラダイムという言葉自体は現代にも残っている。

 

クーンの論争を経て、ラカトシュによる「リサーチ・プログラム」の方法論を提案するに至る。これはクーンの主張を合理的に再構成するように試みたものとみなされる。

野家 科学哲学 第一部

第一部は科学史。1章から6章まで

 

古代ギリシャでは、アリストテレスによる自然観を押さえておけばよい。ドグマとして(1)天上と地上の根本的区別(2)天体の動力としての天球の存在(3)天体の自然運動としての一様な円運動。惑星の運動はエカントと呼ばれる概念を導入して「合理的に」説明する。運動論のドグマとして(1)自然運動の原因としての自然的傾向の存在(2)強制運動の原因としての接触による近接作用(3)速度は動力に比例し媒質の抵抗に反比例。

 

ルネッサンスでは、アラビアに伝来した古代ギリシャの「論証精神」に基づく知識が輸入・翻訳された。それだけでなく、「実践精神」に基づいた知識もともに輸入され、近代科学の方法論の先駆けとなる。

 

それをもとに、科学革命は16世紀から17世紀末にかけて行われ、アリストテレス的自然観は完全に覆されることになる。天上の運動に関しては、コペルニクスが天動説を唱え、ティコブラーエ・ケプラーにより数式化がなされた。地上の運動に関しては、ガリレオによる一次性質と二次性質の区別が定量的な測定につながる礎を築いた。ガリレオは「実験」という手法をとることで慣性の法則や落体の法則を発見した。天上と地上の運動はニュートンのプリンキピアにて統一され、数学的自然科学の体系を完成させた。

 

科学革命はかくしてなされたわけであるが、デカルトによる一次性質と二次性質の区別に始まり、デカルトによる「物心分離」によって完成された観念を見逃すわけにはいかない。すなわち世界を「物」と「精神」に分けた。そして物の運動は因果的な数学法則に基づく機械としてとらえられることで、自然は巨大な機械になぞらえられる。

 

大学の歴史をさかのぼる。ギリシャではアカデメイアプラトン)、リュケイオン(アリストテレス)を創設し、自由人たる人々が余暇(スコレー)で知識を蓄えていた。ルネッサンスでは一大翻訳運動にともない、ボローニャ大学(学生連合)とパリ大学(教員組合)という形をとった。大学では下級学部においてリベラルアーツ(文法学・修辞学・論理学・算術・幾何学天文学音楽理論)が教えられていたが、一方、(機械)技術に関しては、職人階層のものとして格下にみられ、大学で教えられることはなかった。近代に入ることで、主に啓蒙主義の時代に見直されることになる。

 

時は19世紀に第二次科学革命がおこる。すなわち科学が社会において制度化されるようになる。すなわちプロフェッショナルとしての科学者が誕生し、学会が生まれ、産業界や国家のための科学という色合いを帯びるようになった。

 

 

 

7月の勉強予定は哲学史

7月は哲学史をやろうかなぁと思います。

 

まずは野家さんの「科学哲学への招待」をよんで、「ソフィーの世界」でざっと概観して、山川出版の「哲学」あたりで復習して、気になる哲学者について少し深めに勉強しようかな。カント・ヘーゲルヴィトゲンシュタインかな