ゆるゆる べんきょう

暇だから哲学・数学・物理学をゆるく勉強しているよ

野矢論理学 3章

ラッセルのパラドクスが生まれる歴史を振り返る。パラドクスが起きるのは二階論理に相当することをしていることを示し、論理学と数学は異なることを強調。パラドクスに対して、3つの反応があることを示す。つまり、論理主義・直観主義形式主義

 

直観主義の背後には、無限に対する構成主義的見方があり、それは存在論的見方と異なることを証明。一方排中律等が成り立たないことを提示。片や形式主義はこのような姿勢を批判、形式的体系と、メタに対して構成的な手法を取り入れる立場であること、ヒルベルトがそれを主導したことを示す。しかし、ゲーデルにより、メタ数学にこのような構成方法では完全性および無矛盾性を示すことができないことが示されてしまったことが示された。一方この方針で公理的集合論が整備されたことを指摘。

 

以上、論理学を超えた(二階論理等に踏み込んだ)際には矛盾らしきものが発生するが、論理学にとどまる限り、完全性や無矛盾性が示される。

 

というわけで、命題論理の無矛盾性を示す。一般の形式的推論をつぶさに調べ、各行の導出式はすべてトートロージーであることを数学的帰納法で示す。したがって、推論の最後の行である定理式がトートロジーであること、すなわち、「すべての定理はトートロジーである」という健全性が示される。健全性が示されれば、トートロジーでない矛盾式は定理でないことが示されるので、無矛盾性が示される。

 

述語論理の無矛盾性は、述語論理を命題論理に還元する方法(影を作る)という形で、述語論理に矛盾式が存在すると仮定すると、命題論理が矛盾することを利用した背理法を用いることで示される。

 

なお、完全性に関しては、命題論理・述語論理のいずれも省略されている。

補足に、「=」を(数学ではなく)述語論理の公理であることを示す。

 

メタ論理での完全性や無矛盾性はテキストによって少しずつ説明が違うので読んでいてなかなか楽しいものがある。

 

公理的集合論は、一階述語論理で記述できており、かつ、自然数を含む体系でありまた数学を包含しているので、本文で触れられているように、数学には二階の論理が必要という説明はほんとか???と思う。

 

とはいえ、数というものが論理のたまものなのか、経験的に体得される自然科学的性質を持ったものなのかははっきりしない。ZFCで仮定される各種公理がア・プリオリなものかどうか?というのに還元されると思うのだが、私は答えがだせない。