ゆるゆる べんきょう

暇だから哲学・数学・物理学をゆるく勉強しているよ

野家 科学哲学 第一部

第一部は科学史。1章から6章まで

 

古代ギリシャでは、アリストテレスによる自然観を押さえておけばよい。ドグマとして(1)天上と地上の根本的区別(2)天体の動力としての天球の存在(3)天体の自然運動としての一様な円運動。惑星の運動はエカントと呼ばれる概念を導入して「合理的に」説明する。運動論のドグマとして(1)自然運動の原因としての自然的傾向の存在(2)強制運動の原因としての接触による近接作用(3)速度は動力に比例し媒質の抵抗に反比例。

 

ルネッサンスでは、アラビアに伝来した古代ギリシャの「論証精神」に基づく知識が輸入・翻訳された。それだけでなく、「実践精神」に基づいた知識もともに輸入され、近代科学の方法論の先駆けとなる。

 

それをもとに、科学革命は16世紀から17世紀末にかけて行われ、アリストテレス的自然観は完全に覆されることになる。天上の運動に関しては、コペルニクスが天動説を唱え、ティコブラーエ・ケプラーにより数式化がなされた。地上の運動に関しては、ガリレオによる一次性質と二次性質の区別が定量的な測定につながる礎を築いた。ガリレオは「実験」という手法をとることで慣性の法則や落体の法則を発見した。天上と地上の運動はニュートンのプリンキピアにて統一され、数学的自然科学の体系を完成させた。

 

科学革命はかくしてなされたわけであるが、デカルトによる一次性質と二次性質の区別に始まり、デカルトによる「物心分離」によって完成された観念を見逃すわけにはいかない。すなわち世界を「物」と「精神」に分けた。そして物の運動は因果的な数学法則に基づく機械としてとらえられることで、自然は巨大な機械になぞらえられる。

 

大学の歴史をさかのぼる。ギリシャではアカデメイアプラトン)、リュケイオン(アリストテレス)を創設し、自由人たる人々が余暇(スコレー)で知識を蓄えていた。ルネッサンスでは一大翻訳運動にともない、ボローニャ大学(学生連合)とパリ大学(教員組合)という形をとった。大学では下級学部においてリベラルアーツ(文法学・修辞学・論理学・算術・幾何学天文学音楽理論)が教えられていたが、一方、(機械)技術に関しては、職人階層のものとして格下にみられ、大学で教えられることはなかった。近代に入ることで、主に啓蒙主義の時代に見直されることになる。

 

時は19世紀に第二次科学革命がおこる。すなわち科学が社会において制度化されるようになる。すなわちプロフェッショナルとしての科学者が誕生し、学会が生まれ、産業界や国家のための科学という色合いを帯びるようになった。