ゆるゆる べんきょう

暇だから哲学・数学・物理学をゆるく勉強しているよ

野家 科学哲学 第三部

第三部は科学社会学 13章から15章

 

マートンはCUDOS(公有性・普遍性・無私性・組織的懐疑主義)と呼ばれる規範を提示した。そして、科学の健全な発展には民主主義社会の成立が不可欠の条件となると考えた。しかしこれは理想主義的だとされてしまっている。これを推し進めたエディンバラ学派は、自然科学や形式科学の概念や理論内容も社会的・時代的条件によって制約されていると主張し、ストロングプログラムを導き出した。

 

これらの認識論的相対主義の考え方に対して、現場の科学者からは極めて強い反発がおこった。そのうちの一つが、ソーカル事件ということができる。これにより科学社会学者の側にも科学者の側にも反省を残す結果となった。

 

CUDOSに基づく規範は、20世紀後半になると大きく揺らいでくる。科学技術は産業界の要求・政治的問題・軍事技術と強く結びついてきたからである。特に「マンハッタン計画」の成功を戦後にも持ち込み、国家主導による科学の研究開発プロジェクトを戦後の平和利用を目的とした科学技術政策に転用するようになった。すなわち、科学の制度化から、「科学の体制化」が進んでいるのである。

 

科学研究は政府や企業など発注者との契約に基づく委託研究となり、科学者共同体も管理者と現場を担う労働者へと階層分化を遂げた。このような特質では、科学者の行動様式は、PLACE(所有的・局所的・県主義的・請負的・専門的仕事)などと揶揄されている。

 

カーソンによる沈黙の春を代表とする科学の社会的責任も求められている。通常、科学技術は「価値中立的」とされているが、現代ではそのような単純な考え方は成立せず社会的リスクと表裏一体のものとなっている。ワインバーグは「トランスサイエンス」という言葉で、科学に問いかけることができるが科学のみによって答えることができない諸問題の存在を強調した。

 

21世紀のリスク社会を生きる我々に求められているのは、科学技術を放棄して原始時代に戻ることではなく、むしろ科学技術の市民感覚によるシビリアンコントロールであり、科学技術と人間とが共生するための基本的なルール作りである。